卒論を書くのを楽しめたからといって自動で大学院にいけるわけではない。進むべき大学院がどこかを選択する必要がある。これは博士号の価値から行って、よい大学に行くことが望ましい。出身大学の大学院になんとなく残るのはよくない。居心地がいいばかりでなく、自分と切磋琢磨してくれるライバルがいない可能性もあり、その上卒論時点の指導教員がすぐれた研究者であるという保証がない。もし卒論を書いたのが旧帝大であったとしても、別の大学の大学院に進むことは望ましい。なぜなら、世の中には自分よりよくできる人がゴマンといるので、そういうひとたちと交わったほうが研鑽をつめるからである。旧帝大出身者はとりあえず東大か京大を目指す。