2019年4月18日木曜日

政治のせいではない

最近、報われずにポスドク時代を過ごし、自殺された方の記事が反響を呼んでいるが、ちょっと考えれば、政治の問題に転嫁するのは正しくない。どれほどいいスポーツ選手であってもプロになれない可能性もある。どれほどいいスポーツ選手になれる可能性を有していても、プロになれない可能性もある。そこはとにかく運なのだ。したがって、どれほど努力を重ねても最終的に運で決まってしまう職種を選んだ時点で、フェアだったかどうかを問題にするのは間違っているし、それは政治のせいではない。政治が介入して多くのポストが生まれたとしても、同じ状況は発生する。なりたいからといってなれるとはかぎらない博打に一枚かんだ時点で(大学院博士課程に進んだ時点で)「自己責任」というほかないのだ。

無論優れた研究者が職を得るべきだと思うが、優れた研究者の基準は千差万別なので、そんなことを問題にする方が間違っているのである。

2019年4月9日火曜日

大学とは集合

どれほど優秀な学者であっても、あるいは教育者であっても、組織の中で仕事をするという意識が希薄な人は歓迎されない。なぜなら、個々人のスキルや教養や知識をいったん無に帰して一緒に仕事をさせる仕組みが学科なり学部だからである。

表層的には、意に沿わぬ場合でも仕事をさせられるということがある。これはどこの職場でもいっしょ。

水面下では、自分以外の誰かと一緒に仕事をして、それなりの成績を残さなければならないということ。これは、大学が集合であるということ。

不祥事が起こった大学の評判は下がる。その時に、個々の教員の能力は一切勘案されない。同様に、個々人の能力たる者、大学という組織の中に組み込まれたときに、集合としてのそれになってしまう。では集合としての能力とはどういうことか、というと、故人のレベルに落とし込むなら:

1)顧客(学生)に対するサポート力
2)組織(所属する学部学科)の存続に寄与する能力

である。