2018年12月27日木曜日

応募期間が短い公募

よく言うデキ公募か否かは詮索しても意味がないし、昨今各大学とも経営の透明性が求められているし、選考委員会は複数の教員で構成されるので、たぶんほとんどなくなってきている。そのうえで、応募期間が短めの公募が出たら、これは割と狙い目。求める人材が絞れているなら、前任者がなんらかの理由で離脱したと考えられる。とすれば、前任者のフィールドに自分が近いかどうかを検討して応募するかどうかを決めればいい。

2018年12月26日水曜日

必要経費(確定申告)

非常勤講師でも固定ポストの教員をしていても、必要経費が交通費以外で認められないのは残念だが(基礎控除があるため)、もしそれ以外の収入がある場合は、必要経費として申告することができる。たとえば、講演を頼まれた、文章を寄稿した、インタビューを受けた、といった場合でかつ報酬が発生した場合。とはいえ、年の最初からこうした臨時収入の入る予定が分かっていることは少ない。たとえば、地震の研究をしていて、地震が起こった時に取材を受けたとしても、地震同様予想できない。後になって、確定申告しようと思っても領収書、レシートが手元にないケースもあるだろう。amazonでは再発行できるようだが、大抵はそういうことはできない。なので、各年ごとに研究にかかわる支出の領収書の類は保存しておくべきだ。なにも厳格に管理する必要はなくて、封筒にどんどん入れていく。後で必要に応じて選別すればいい。

2018年12月25日火曜日

就活よりも研究しよう

研究者を目指すならば、就活よりも研究しよう。就職の際に利用できるリソースは、どういうことをしてきたという経歴と業績しかないのだから、そこを手厚くするのがよい。就職についてくよくよ考えたりしている暇があったら、一歩でも先に進む研究をするべき。もしそれができないのであれば、研究者を目指すこと自体が向いていない可能性がある。その場合は、あきらめる方が吉。

2018年12月18日火曜日

教科書の選定、授業の進度

新しい大学に移って、まったく新しい講義をする可能性もあるが、前任者がやっていた講義を引き継ぐ場合もある。その際に、教科書や参考書、授業の進度や内容について、すべてを刷新するよりは、初年度は様子を見る意味で部分的に踏襲する方がいい。むろん独自の研究をもとに授業をする場合は別だ。

自分の専門以外である場合は特に、その大学の学生に適しているというものを吟味してそれらのシラバス内容、授業内容、書目が生成された可能性が高い。なので、自分の理想一本槍に授業をデザインするべきではない。行った先の学生がすごく優秀かもしれないし、そうでないかもしれないが、分からない以上リスクをとるべきではない。

2018年12月12日水曜日

非常勤専業という選択肢

研究がしたいという意欲と教育に携わりたいという意欲は別物。なので、教えることに特化して専門性を磨くという道もある。その場合は、非常勤専業でやっていくという選択肢もある。より正確に言えば、その道を極めれば常勤を余裕で狙えるのだが、あえて非常勤で行くということだから、生半可なプロ意識ではなれない。ただし、これを積極的かつ肯定的にとらえられる人たちがいて、それは家庭の主婦だったり、お金には困っていないけれど生きがいを求める人たちだったりする。

前者は、大学の非常勤は表面的には拘束時間が短いことが多いので、ある程度稼ぎのある配偶者がいる主婦で専業の人はいる。

後者は、実は大学を定年で辞めた後に非常勤に勤しむ先生方に当てはまる。

けれども、年齢の若い研究者はこの二つのカテゴリーの人々の鷹揚さと闊達さをぜひ学んでほしい。百戦錬磨の経験を持ち、説明も授業も上手なら、突発的な要望にもほぼほぼ応えられる、ある意味では今後の大学運営で最も求められる人たちなのだから。参考にならないと思う前に、自省してほしい。本当のプロはこういう人たちのことを指すのかもしれないと。

2018年12月5日水曜日

内定を断る

あってはならないことだと思うが、内定が出ていた大学に辞退の連絡をすることがあるかもしれない。複数の大学を受けていて、最初に内定をもらった大学よりレベルの高い大学からも内定を得た場合である。基本的には内定を得て、そこで就職活動を止め、進んでいた公募も自分の都合で辞退する旨を連絡するべきであるが、それを怠りかつ内定をもらってしまったと想定しよう。

最初の大学としてははらわたの煮えくり返る思いがするかもしれない。しかし、より良い大学に職を得られるのだったら、わざわざレベルの低い大学に行く必要はないだろう。

では、どのように連絡をするべきか。まずは迅速に。窓口になっている先生にも事情を可能な限り話して説明すること。「一身上の理由」よりは、具体的にどういうことを思ってそのような仕儀となったかを知ってもらうべきだ。すでに人事採用プロセスが進んでいることが予想されるのであれば、平謝りするしかない。それだけ大勢の人の手を煩わせて教員の就職は現実のものとなる。

あってはいけないことだが、自身のキャリア形成を考えての決断であるなら、誰にもそれを止めることはできない。それでも、やはりあってはいけないことなのだから、そういうことにならないように注意するべきだ。行く気のない大学を受けてもいけないし、内定をもらってそこでいいと思ったのなら、他はすっぱりあきらめて、辞退することだ。

ジャンルをまたぐ

一本筋の通った研究をしていても、余技というか、目線や対象を変えることで別のジャンルの研究に接近できることがある。その場合、時間の無駄などと考えずに挑戦してみることを勧める。なぜなら、自身の専門分野が必ずしも開講科目と合致しない場合もあり、学生の関心とあわない可能性も高いが、そうした経験を積んでいれば柔軟にこちらのカードをアレンジすることができる。方法論や対象が同じであっても、見せ方を変えることも出来るだろう。そうした器用さは節操のなさとはまた別モノ。求められている仕事ができるということは自信にもつながるはずだ。乗り越えるまでは不安が多いが、ジャンルをまたいだ研究をするべきだ。

2018年12月3日月曜日

長期的な視座

誰かが総理大臣になりたいと言ったら、それはおそらくかなわない。誰かが宇宙飛行士になりたいといっても、それはおそらくかなわない夢だ。でも研究者にならなれるかもしれない。なぜなら無能な研究者が跋扈している現実を目にしているからだ(大学などで)。

それは健全ではないので、いずれ自浄作用が働らいて淘汰されていく。それでも、たくさんの大学があるということは、たくさんの大学教員職があるということに他ならない。

大学の数を存続させるには子供の数を多く保つ必要があり、子供の数が多い国には未来の選択肢がそれだけある。少子化を迎える国で大学教員を目指すのならば、希望の持てる大学を想像することが大事なのだ。

希望の持てる大学とは、カルチャセンタ的な大学ではない。そうではなくて、今ない学問を創出できる可能性を静かに、確実に孕んでいる大学のことである。長期的な視座で研究をしたまえ。評価できる人は必ずいるのだから。

2018年11月30日金曜日

学閥

学閥という言葉があって、会社などで○○大学出身者が一つの派閥を作っているというときなどに使うのだが、大学ではこれはケース・バイ・ケースと思われる。主に国公立出身者が多い場合は、学閥を形成することに興味を示さず、早稲田、慶応を筆頭に私立大学(たとえば地方で有力な私立など)出身の方たちがこれを形成することが多い。なぜというに、前者は自分の研究の方が面白いからだし、後者は…書かないことにする。とはいえ、学閥がある組織は浄化作用を発揮できない可能性があるので、健全な組織である可能性は低い。

では、そういう大学であるかどうかをどうやって調べるかというと、これは簡単で、応募する所属先の教員の出身大学を調べてみればいい。A大学出身者が異様に(何パーセント以上が多いとは言えないけれど、奇異な感じを覚えたら、やはりおかしいのだろう)高い場合は注意した方がいい。

学閥なんて何の役にも立たないのだが、無能な奴ほどこういうものに拘泥する。無能な奴の多い大学は、仕事がしづらい可能性が高い。

2018年11月22日木曜日

内定はもらったが

面接を経て内定をもらったとする。来年度からは新しい職場で心機一転頑張ろうと思う。現在の仕事にも一区切りつけて、断りの連絡などもしなくてはいけない。されど、待てど暮らせど正式な採用の連絡が来ない、という場合。

催促してもよいけれど、採用してくれた大学の決済プロセス(どの会議を経て承認されなければならないのか)がまちまちなので、どれくらいが標準ということは難しい。仮に追加で情報を求められた場合、一度は会議に出したけれど書類の不備で再度起案しているのかもしれない。なので、せっついたりするのは差し控えた方がいいと思う。ただし、「現在の非常勤先に連絡をする必要があるのですが」などと前置きをして進捗を探ることは可能かと思う。果報は寝て待て、という。焦らないでほしい。

2018年11月13日火曜日

仕事を断る勇気。

仕事を断る勇気。二つの意味でそれはある。
ひとつは、常勤を得ていない時に頼まれる仕事。非常勤かもしれないし、学会の事務仕事かもしれない。引き受けるべきではあるが、もし学位を取得するのに支障があると思うならば引き受けるべきではない。理由は、そのままだ。

常勤を得た後に頼まれる仕事について。新任教員はたくさん仕事を頼まれるだろう。その中で、受けなくてもいい仕事は受けずにいるべきだ。これは自戒をこめて。仕事をするためではなく、学者としてより良い生き方を求めたその大学に職を得たはずなのだから。

2018年11月10日土曜日

何のために研究するのか

あらためて問うまでもないことだからこそ、あらためて問うてほしい。学者になるために大学+大学院で費やす時間を仮に10年として、教壇に立って教えられる時間を35年と考える。多いだろうか?実際にはもっと多くの時間を学生として費やし、在野の研究者として費やすことになる。実際に教壇に立てる年数は本当に短い。そのうえで、生きがいと言えるものを教育に見出せるだろうか。見出せなくても研究だけでは食べてはいけないはずだ。それでも研究し続けるとするならば、何のために研究するのか? 自分でなければなしえない貢献があるか? 自分でなければできない発見があるか? 自分でなければならない理由はあるか? おそらくないはずだ。世界にはあなたより優秀な人は掃いて捨てるほどある。それでも、と食い下がれるか? 研究者を目指す途中で何度でも自分に問うてほしい。その問いは、自分の学問への態度を磨いてくれるはずだ。

2018年11月9日金曜日

丁寧にするに如くはない

採用してしまった後で、「ああ、失敗だったな」と思ってもその人に辞めてもらうわけにはいかないので、採用人事は慎重にならざるを得ない。人づてに聞いた話だが、これはちょっと、という人材の例があったので紹介する。

着任早々、学科全体の予算で自分用の機材資料を購入。
着任後一年を待たず休暇取得(引き継いでいた仕事も元の担当者に差し戻し)。
復帰時にはまたゼロから仕事を引き継ぎ。

大分レアなケースであり、ご本人の性格にもよると思うのだけれど、学科教員がこの人と以後仕事を積極的にしたいと思うことはないだろう。周囲が甘やかしたから増長したともいえるが、もともとの素質が違ったのだろう。

こういうリスクを回避するのは難しい。したがって、書類や面接以外の場でもすべてを総動員して審査にあたりたいと思う。メールひとつ、電話ひとつ、筆跡ひとつ、すべて丁寧にするに如くはない。それで損をすることがないのなら、なおさら。

2018年11月8日木曜日

礼を失することのないように。

新しい職場が決まって、先方に連絡を取る際、必要な事柄の連絡を別にしても、丁寧な対応が必要というか、社会人としての礼儀。研究者だから奇人変人でもいいというのは、今では時代遅れの認識で、大学教員も一般サラリーマンのようなものだ(違う点も多々あるけれど)。なので、新しい職場の方に連絡を取る、挨拶をするという時には礼を失することのないようにしたい。人間相手に仕事をする以上、この人と仕事をしたいと思ってもらえるようにした方が何かと得なのだ。当たり前のことが、研究ばかりしているとなかなかできなくなってしまうのだ。

2018年11月5日月曜日

焦りは禁物

野球でいう選球眼といったものを養うことが難しいのは、個々の公募が一回限りの可能性があるためだが、すくなくともハズレを引かないためには、最初のいくつかを見送ることも意味がある(秘書問題という確率の問題がある)。公募の情勢を知らないまま闇雲に出し続けても落ち続けるし、この業界はこの分野の研究がトレンドなんだな、と分かったらすこし自分の専門を広げる感じで書類を書くことも出来るはずだ。すべての球にフルスイングで挑む必要はない。焦ってあれこれ出しながら、肝心の研究や私生活がうまくいかないようでは意味がない(コスト高になるからだ)。

2018年10月31日水曜日

選べないのだが

生きるのに上手も下手もなかれども。

折に触れて、ある研究者のことを思う。ルックスもよく、着眼点もよかった。要するに、学会ならびにその業界で大事にされるべき人だった。その人がいつのまにか追いやられて、気づいたら違う場所にいた。だから、学問の世界は公平でも公正でもないことを知った。今生き残っている人たちの中で、どれだけの人が価値ある研究者だろう。9割はアウト、自分も含めて。運がすべてなら、努力する気も起らないだろうか。それでも、買わなければ当たらない宝くじみたいなものだろうか。誰に会い、誰と仕事をし、何の取り組んだか、それを運だというのなら、大概は選べないのだが、それでも選択の結果なのだ。僕はその人と会って、話をできたことをうれしく思う。

国外で勉強するメリット、国内で学位を取るメリット

ジャンルによるが、研究リソースが国外の方が充実している場合や、勉強そのもののコストが低い場合には、積極的に利用するべき。奨学金を狙える人はそれも利用するといい。

一方で、外国で学位を取って帰って来ても、相当メジャーな大学(国)でない限り、価値が著しく低い。なるほど、業界人にとっては「これはすごい」という学位であっても、知らない人にとってはゼロに等しい価値しか持たない。

日本で仕事をするなら、日本で一番価値のある学位を取るべきだ。

要するに勉強する場所は国外でもいいが、学位を取得する場所が国外でいいとは限らないので、慎重に検討すること。

2018年10月19日金曜日

応募先を判断する材料

応募するかどうかを迷う大学は、出さない方がいいと思うが、いい大学かどうかを判断する材料は無数にある。

ホームページが充実していても、学生の質が低い大学もあるだろうし、簡素でありながら教員の質が高い場合もある。学生の質も問題だが、教員とりわけ同僚になる先生たちのことも気になる。派閥があったり、特定の大学の出身者で占められている大学は、公正な運営ができていない可能性がある。そうした先生たちのシラバスや研究内容を見ることで、教育環境、研究環境について察することは十分にできる。

学生については、極端によくなったり悪くなったりすることは少ないが、不祥事や事件の報道があったなら注意した方がいい。とはいえ、一部のおかしな学生が大学全体の名誉に泥を塗っていることが大半だと思うのだが、そうした評判は覿面に受験動向、とりわけ保護者の意見に影響を与えるので、甘く見てはいけない。

最初に書いた通り出すか出すまいか迷うくらいならやめた方がいいし、出した後で調べるということでもいいが、できれば出す前に下調べをした方が時間のロス(書類作成など)が少ない。

2018年10月16日火曜日

教員を目指す年齢

普通の専門職であれば、それを志望した年齢が若い方がより経験や知識を増やすことができるのでそれに越したことはないが、大学教員の場合、若気の至りで選んだ進路を成就できる可能性は低い。なので、ぎりぎりまで退路を断たずに二十台後半までは逃げ道を残しておく方がいい。

すると、修士課程が終わってそれなりに良い成績を得られ、かつ将来を嘱望されていることを知る24歳以降ということになるが、ここでいう「将来を嘱望」は、何らかの補助金、助成金、研究費を受けられるということである。

そうでない人は、かなり望み薄なので、今からわざわざ発奮して研究者になるよりは、別の道を選んだ方がいい。

いっぽうで、社会人経験を積んだのちに、問題意識をより明確に持つことができるようになった人はその限りではない。三十代から研鑽を積んで大学教員になる人もある。いずれにしても、二十代後半は、人間の成長過程においても重要な時期だし、研究者にとってもそれは当てはまっている。そのころにいけるという見通しを得た人は、その道を驀進するべきだ。迷いがあるなら、潔く退却するか、別の道を探すべきだ。あきらめることは何も悪いことではないのだから。

2018年10月13日土曜日

面接慣れ

何度も面接に呼ばれているのに、なかなか常勤職が決まらない人は、書類の上では素晴らしいのに実際に面と向かってみるとマイナスな面がある可能性がある。むろん、人柄や容姿を変えることはできないが、もし模擬授業の授業の上手下手がネックとなっているのであれば、向上させることはできるかもしれない。

かつての大学のように教員が漫然としゃべっている授業というのはほとんどの大学で歓迎されない。さまざまな言葉が取りざたされては消えて行ったが、結局は学生に対するアピールの強い授業、かつ学生の参加を促す授業が求められている。また、専門性の高い話をかいつまんで、分かりやすく、また噛み砕いて説明するにはどうしたらいいかを常に考えておくといい。難しいことを難しく話す人は研究者としてはよくても、大学教育には向かない。

自身のジャンルにそれがそぐうかどうかは難しい問題だと思うが、一考に値するだろう。一番まずいのは面接慣れして、「落ちる面接パターン」を繰り返しているうちに機会を損失することである。時間もまた失っていくのだ。

2018年10月12日金曜日

年齢

年齢は大きな壁だが、公募先によって若すぎる、年寄りすぎるの基準は違う。ただし、普通なら教授くらいの年齢のひとが非常勤をずっとしていたとして、この人を取ることは難しい。既存スタッフとのバランスがとれないからだ。すでに常勤職を持っていてよその大学で教授の人は問題ない。教授だった人が異動して准教授になっているレアなケースもたまにあるが、それは新旧大学間の格の違いによるもの。ただし、めったにあることではないので、別に何らかの理由があったと考えた方がいい。

不幸な人びと

もうどれくらいやっているのかわからないくらい非常勤講師をしていて、年齢も行き過ぎている人が、業界の話を訳知り顔でしているのに出くわすことがあるかもしれない(男が多い)。どれだけそうしたゴシップを知っていようと、仕事がないのではお話にならない。こういう人は、多分ずっと常勤にはなれない。一緒に仕事をしたいと思える魅力がないからだ。

強い意志の力

いくつもの公募に出し続けていて、年度が後半に入り、面接にも呼ばれずにいると心配でならなくなる。もしかすると、自分は一生非常勤をしながら暮らしていくしかないのではないか、仕事は見つからないのではないか、という不安だ。その不安を払しょくすることはできない。ただし、常勤を得てしまったあとでは、かつての日々を懐かしく思い返すことがあるのも事実だ。あんなにも贅沢に、自由に、研究し、勉強し、本を読むことができたなんて、とささやかな羨望を覚える。無論、苦しかったのは事実で、精神的経済的な安定は今の方が大きいとしても、やはり自分を救うのは自分が蓄積したものだと思う。だから、不安を払しょくできなくても、それに負けずに勉強を続ける強い意志の力がほしい。それがあってさえ、ダメな場合もあるが、それがなくては、絶対にダメなのだから。

2018年10月9日火曜日

自問自答

永く公募に応募していると感覚がマヒしてくるが、公募のために研究しているのではなく、研究を続けるために公募に応募して、それに必要な条件や待遇、環境を得るのだ。だから、公募のためになにかをするのではなく、研究をした方がいい。公募に有利、ということはほとんど度外視していい。せめて努力するべきなのは、人格の陶冶くらいのもので、院生生活が長いと社会の一般常識から外れているかもしれない、と自問自答するといい。

2018年10月8日月曜日

初心

大学のポストを求めるようになった初心はなんだろうか、と振り返ってみるのは有益だ。大学院に進むより前に、これが面白い、これはいける、と思った瞬間があったはずでそれぞれの研究領域に足を踏み入れたはずだ。無論、なし崩し的にその道に進む人もあるが、例外と言える少数派だろう。とすれば、なにか、アマチュア的な執念が根本にはかならずあるはず。

仕事を得る上では無論そうしたことは重要視されないけれど、場合によっては「なぜこのご研究をされているのですか」と面接官に聞かれる場合があるかもしれない。そして、それは往々にしてあるのだ。

初心は忘れてはいけないのである。止めたくなる時にあなたを引き留めたものは何か、それを言語化してほしい。

2018年10月5日金曜日

面接における質問の意図

面接における質問の意図は最終的には分からないし、仮に仕事が決まったところで後から尋ねることも恐らくない。

内容について意味がある場合と、答える仕方に意味がある場合がある。専門分野についての質問は前者であり、決まった答えのない質問が後者だ。漠然とした言い方になるが、人となりを見るのが面接なのだから。

こう答えておけばよかった、と後から自問したり後悔することもあろうが、それは無駄なことである。

スキルを磨く(しかし、必要程度で)

昨今の大学ではプレゼンテーションソフトを使用した授業や、英語オンリーの授業が求められることも多い。どちらも、教員にとっては負担だし、学生にとって有益であるかどうかは不明なのだが、そういうことを求める人や大学がある。なので、こうした要請にこたえられる、あるいは実践した経験があるということはひとつのアピールとなる。また、大学がMoodleなどの教育支援システムを導入している場合には、そうしたものについて使用した経験があると答える方が印象はいい。しかし、システムに習熟することが目的ではなく、必要に応じて活用すればいいだけのことにすぎない。そのことを誤解してはいけない。

2018年10月4日木曜日

出してはいけない公募

いくつも公募を見ていると、毎年出ている公募というのがある。どうしたわけか適任者が見つからないのだろうけれど、大学業務は人事が流れた後も平常運転なので、現在いるスタッフに無理を強いて回していることになる。そういう大学のガバナンスがいい可能性は低いので、出さない方がいい。

出してはいけない公募は、応募条件にスーパーマンでなければこなせないような内容(担当授業、業務)を書き連ねている大学。国公立、私立ともにこれから大学はどんどんシビアになるし、教育や研究とはかかわりのないところで時間をとられる。とすれば、スタート時点で時間を大幅にとられる職に就けば、将来はどうなるかなお案じられる。そういう、スーパーマンを求める大学には出してはいけない。ヒーローを必要とするのは逆境にある大学だ。

2018年10月1日月曜日

愚直さという資産

大学院生を対象に書く。すでに仕事を得ている人(常勤職)は関係がない。

院生を長くしていると、焦りもあっていろいろな仕事をしてしまうことが多い。それ自体は全然いいことだけれど、肝心の学位を取るのが遅れたとして、それは言い訳にならない。

仮に、たくさんきらびやかな仕事をしている人がいて、博士号を持っていないとする。いっぽうで、博士号は持っているけれど、地味な論文や発表が経歴に並んでいる人がいる。

間違いなく、公募に取られるのは後者だ。

いろいろな仕事をするのが悪いというのではなく、最優先の仕事をできないという、スケジューリングの甘さが難点なのだ。

2018年9月29日土曜日

時間を何に投資するか

時間は有限だが、そのことを意識することは少ない。とりわけ大学院生くらいであと何年生きられるかを意識することはないだろう。

けれど、勉強できる時間は有限だし、研究できる時間は思いのほか少ない。大学に職を得ることを至上目的に頑張っても、大学に入ってからのことを考えていないと多分に苦労する。

個人的には、大学で職を得るまでの貯金で数年間は頑張った(論文にせよ、授業にせよ)。とにかく、常勤職になった途端、こんなにも勉強できる時間が削減されるのかとショックを受けたし、受け続けている。

時間を何に投資するか。いずれ訪れる、勉強できない日々のために投資するべきだ。

2018年9月28日金曜日

当たり年、外れ年

ひとつの公募の合否について、思い悩む必要はない。すばらしい公募は毎年あるし、くだらない公募も毎年ある。問題は、行った先でここは素晴らしい職場だと思えるかどうかだ。問題は、素晴らしいと思える公募に出し、くだらないと思う公募に出さないことだ。

ジャンルによって当たり年、外れ年はある。今年は10件しかなかったのに、来年は50件あるかもしれない。でも、問題は数ではなく、自分が素晴らしいと思える公募かどうかなので、相対評価ではなく絶対評価で判断するべきだ。

2018年9月27日木曜日

面接官は敵か味方か

これはさしあたって重要でない。

おそらく奇数の面接官が配置されているはず。ただし、人事を通すためには全員が一致してその候補を推すことが望ましい(票が割れるとその人事案件が流れる可能性がある)。したがって、敵と思われる面接官もそういう演技をしているのかもしれない。

授業をしていると、興味がなさそうな学生、遅刻する学生を目にすることはあると思う。授業に興味がない人をどうやってひきつけるか、というテクニックもまた必要だろう。大学は一回一回がライブの場なのだから、その技術は現場で磨くしかない。

ともかく、面接官がどんな態度であれ、切り捨てる態度だけは慎むべきだ(それは教育者としてもそうだ)。一般企業の面接でもそういう態度は慎むべきだ。

面接官は、あなたを面接に呼ぶという決定をした時点であなたの味方なのだ。全員を魅了し、籠絡してほしい。

2018年9月25日火曜日

地方か都会か

若い人で、家庭の事情(親の介護、不動産の管理、地縁その他)を別にすれば、最初の公募の際に地方と都会との差を真剣に考えることは意味がない。ようするに、しがらみがない人は地方でも行くべき。なぜなら、最初の勤務先に定年までいる可能性は低いから。もちろん、行った先がいい大学で、住みよい場所であればずっといるべきだ。しかし研究環境や待遇に不満を覚えて次の就職先(転出先)を探すこともあるだろう。その際に、あらためて吟味すればよいので、まずは常勤職を見つける方がいい。

年を取っている人は、もっとシビアだけれども、同じアドバイスに自分の状況を加味して考えるといい。

2018年9月24日月曜日

公募に応募し始めて

当初は出す公募、出す公募、次々と落ちてばかりということになる。

理由は書類の書き方が下手だったり、ターゲットとしている人材が何であるかを分析できていなかったり、単純に自分の業績が少なかったりするため。

面接に最初に呼ばれると非常に緊張する。そしておそらく一つ目の大学では落ちてしまう。でもそれは仕方がない。もっと経験を積んだ、業績の多い、能力の高いライバルがいたのだから。

ただ、気休めにもならないかもしれないが、面接にちらほら呼ばれるようになると、採用は近い。筆者は3度目の面接で現在の大学に就職した。

敬遠される人(採用側から)

(採用側の視点で)

AとBという候補者があった場合、明らかに一方が他方より優れているのであれば選択に迷いは生じない。では、Aはこういうところが、Bはこういうところがいいという場合、その大学が重きを置くポイントが大きく評価される。

要するに、ライバルは自分と同じくらいレベルの高い人なのだから、それにプラスアルファの価値があるべきなのだ。

それが、小手先の技術の場合もあれば、その欠如である場合もある。なぜなら、特に後者について言えば、教員はともに働く同僚を採用するからだ。能力が高くても仕事がしづらい人を取る理由はない。

なので、うそをつく人、体裁を繕う人が敬遠される。

評価するポイント

(採用側の意見を書く)

研究系の大学院であれば研究者を。教育系の大学であれば教育者を。しかし実際にはそんなにはっきり分かれない。研究系の大学でも、研究者ばかりの組成になれば教育者を求める。あたりまえだ。

仮に偏差値が55から65くらいの普通の大学(それでも相当いいのだけれど)を考えた場合、研究者として優れていることは当然だが、授業も上手であることは評価するポイント。たとえば、内容が素晴らしくても学生の興味をひかない、顔を上げない、目を見て話さない、といった人はマイナス。熱意が感じられない人は取れない。入った途端に熱意が芽生えるなんて思えないから。何を評価されるかはわからない。ただ経験として、スペックよりも「人間」を見ていることが多い。なぜなら、最終面接に残るほどの人であれば、スペックがすごいのは当然なので。そこは比較の対象にはならない。