2019年2月21日木曜日

年度終わりは年度初め

会議が目白押しな大学で、研究をする時間など確保できない。でもそれは欧米でも、どこでも、おそらく事情は変わらない。

時間がない中で研究をし、業績を積むことのできる人が、以後生き残っていく。

とすれば、仕事に束縛され、雑事に振り回される以前の状態にある人は、研究するに如くはない。

年度終わりは試験で忙殺。年度初めは新入生で忙殺。忙殺されていない時期はいつなんだろうと思う。

2019年2月7日木曜日

確実に教授になれない人

確実に教授になれない人、イコール教員になれない人、と言える。

業績がない。
職歴がない。
才能がない。

最後のものは補足が必要だと思う。才能がありすぎて教員になれない人がままあるからだ。けれど、そうした人はかならず大きな仕事をする。

もし世の中が広いので自分自身を井の中の蛙と想定するならば、問題となるのは前二者である(はずだ)。

そのなかでささやかに業績を積んでいくことが大学教員に近づく道となろう。とはいえ、本当に運まかせだと思う。運まかせのものに、自分の運命を任せられるほど、あなたは楽天的だろうか?

本題に戻ろう。確実に教授になれない人は才能がない。けれど、才能があることを見出してもらえる実績がない人のことだ。

生活設計

仮に大学教員になったとする。一応社会的ステータスもあるとする。むろん、博士号もあろう。でも、世間から見たら好事家に過ぎない。ということは、大学や大学院という枠、そして入れ物を抜け出た時には変わった人に過ぎない。なので、そのことを自覚して生活設計していくことが望ましい。