2018年12月27日木曜日

応募期間が短い公募

よく言うデキ公募か否かは詮索しても意味がないし、昨今各大学とも経営の透明性が求められているし、選考委員会は複数の教員で構成されるので、たぶんほとんどなくなってきている。そのうえで、応募期間が短めの公募が出たら、これは割と狙い目。求める人材が絞れているなら、前任者がなんらかの理由で離脱したと考えられる。とすれば、前任者のフィールドに自分が近いかどうかを検討して応募するかどうかを決めればいい。

2018年12月26日水曜日

必要経費(確定申告)

非常勤講師でも固定ポストの教員をしていても、必要経費が交通費以外で認められないのは残念だが(基礎控除があるため)、もしそれ以外の収入がある場合は、必要経費として申告することができる。たとえば、講演を頼まれた、文章を寄稿した、インタビューを受けた、といった場合でかつ報酬が発生した場合。とはいえ、年の最初からこうした臨時収入の入る予定が分かっていることは少ない。たとえば、地震の研究をしていて、地震が起こった時に取材を受けたとしても、地震同様予想できない。後になって、確定申告しようと思っても領収書、レシートが手元にないケースもあるだろう。amazonでは再発行できるようだが、大抵はそういうことはできない。なので、各年ごとに研究にかかわる支出の領収書の類は保存しておくべきだ。なにも厳格に管理する必要はなくて、封筒にどんどん入れていく。後で必要に応じて選別すればいい。

2018年12月25日火曜日

就活よりも研究しよう

研究者を目指すならば、就活よりも研究しよう。就職の際に利用できるリソースは、どういうことをしてきたという経歴と業績しかないのだから、そこを手厚くするのがよい。就職についてくよくよ考えたりしている暇があったら、一歩でも先に進む研究をするべき。もしそれができないのであれば、研究者を目指すこと自体が向いていない可能性がある。その場合は、あきらめる方が吉。

2018年12月18日火曜日

教科書の選定、授業の進度

新しい大学に移って、まったく新しい講義をする可能性もあるが、前任者がやっていた講義を引き継ぐ場合もある。その際に、教科書や参考書、授業の進度や内容について、すべてを刷新するよりは、初年度は様子を見る意味で部分的に踏襲する方がいい。むろん独自の研究をもとに授業をする場合は別だ。

自分の専門以外である場合は特に、その大学の学生に適しているというものを吟味してそれらのシラバス内容、授業内容、書目が生成された可能性が高い。なので、自分の理想一本槍に授業をデザインするべきではない。行った先の学生がすごく優秀かもしれないし、そうでないかもしれないが、分からない以上リスクをとるべきではない。

2018年12月12日水曜日

非常勤専業という選択肢

研究がしたいという意欲と教育に携わりたいという意欲は別物。なので、教えることに特化して専門性を磨くという道もある。その場合は、非常勤専業でやっていくという選択肢もある。より正確に言えば、その道を極めれば常勤を余裕で狙えるのだが、あえて非常勤で行くということだから、生半可なプロ意識ではなれない。ただし、これを積極的かつ肯定的にとらえられる人たちがいて、それは家庭の主婦だったり、お金には困っていないけれど生きがいを求める人たちだったりする。

前者は、大学の非常勤は表面的には拘束時間が短いことが多いので、ある程度稼ぎのある配偶者がいる主婦で専業の人はいる。

後者は、実は大学を定年で辞めた後に非常勤に勤しむ先生方に当てはまる。

けれども、年齢の若い研究者はこの二つのカテゴリーの人々の鷹揚さと闊達さをぜひ学んでほしい。百戦錬磨の経験を持ち、説明も授業も上手なら、突発的な要望にもほぼほぼ応えられる、ある意味では今後の大学運営で最も求められる人たちなのだから。参考にならないと思う前に、自省してほしい。本当のプロはこういう人たちのことを指すのかもしれないと。

2018年12月5日水曜日

内定を断る

あってはならないことだと思うが、内定が出ていた大学に辞退の連絡をすることがあるかもしれない。複数の大学を受けていて、最初に内定をもらった大学よりレベルの高い大学からも内定を得た場合である。基本的には内定を得て、そこで就職活動を止め、進んでいた公募も自分の都合で辞退する旨を連絡するべきであるが、それを怠りかつ内定をもらってしまったと想定しよう。

最初の大学としてははらわたの煮えくり返る思いがするかもしれない。しかし、より良い大学に職を得られるのだったら、わざわざレベルの低い大学に行く必要はないだろう。

では、どのように連絡をするべきか。まずは迅速に。窓口になっている先生にも事情を可能な限り話して説明すること。「一身上の理由」よりは、具体的にどういうことを思ってそのような仕儀となったかを知ってもらうべきだ。すでに人事採用プロセスが進んでいることが予想されるのであれば、平謝りするしかない。それだけ大勢の人の手を煩わせて教員の就職は現実のものとなる。

あってはいけないことだが、自身のキャリア形成を考えての決断であるなら、誰にもそれを止めることはできない。それでも、やはりあってはいけないことなのだから、そういうことにならないように注意するべきだ。行く気のない大学を受けてもいけないし、内定をもらってそこでいいと思ったのなら、他はすっぱりあきらめて、辞退することだ。

ジャンルをまたぐ

一本筋の通った研究をしていても、余技というか、目線や対象を変えることで別のジャンルの研究に接近できることがある。その場合、時間の無駄などと考えずに挑戦してみることを勧める。なぜなら、自身の専門分野が必ずしも開講科目と合致しない場合もあり、学生の関心とあわない可能性も高いが、そうした経験を積んでいれば柔軟にこちらのカードをアレンジすることができる。方法論や対象が同じであっても、見せ方を変えることも出来るだろう。そうした器用さは節操のなさとはまた別モノ。求められている仕事ができるということは自信にもつながるはずだ。乗り越えるまでは不安が多いが、ジャンルをまたいだ研究をするべきだ。

2018年12月3日月曜日

長期的な視座

誰かが総理大臣になりたいと言ったら、それはおそらくかなわない。誰かが宇宙飛行士になりたいといっても、それはおそらくかなわない夢だ。でも研究者にならなれるかもしれない。なぜなら無能な研究者が跋扈している現実を目にしているからだ(大学などで)。

それは健全ではないので、いずれ自浄作用が働らいて淘汰されていく。それでも、たくさんの大学があるということは、たくさんの大学教員職があるということに他ならない。

大学の数を存続させるには子供の数を多く保つ必要があり、子供の数が多い国には未来の選択肢がそれだけある。少子化を迎える国で大学教員を目指すのならば、希望の持てる大学を想像することが大事なのだ。

希望の持てる大学とは、カルチャセンタ的な大学ではない。そうではなくて、今ない学問を創出できる可能性を静かに、確実に孕んでいる大学のことである。長期的な視座で研究をしたまえ。評価できる人は必ずいるのだから。