2018年10月31日水曜日

選べないのだが

生きるのに上手も下手もなかれども。

折に触れて、ある研究者のことを思う。ルックスもよく、着眼点もよかった。要するに、学会ならびにその業界で大事にされるべき人だった。その人がいつのまにか追いやられて、気づいたら違う場所にいた。だから、学問の世界は公平でも公正でもないことを知った。今生き残っている人たちの中で、どれだけの人が価値ある研究者だろう。9割はアウト、自分も含めて。運がすべてなら、努力する気も起らないだろうか。それでも、買わなければ当たらない宝くじみたいなものだろうか。誰に会い、誰と仕事をし、何の取り組んだか、それを運だというのなら、大概は選べないのだが、それでも選択の結果なのだ。僕はその人と会って、話をできたことをうれしく思う。

国外で勉強するメリット、国内で学位を取るメリット

ジャンルによるが、研究リソースが国外の方が充実している場合や、勉強そのもののコストが低い場合には、積極的に利用するべき。奨学金を狙える人はそれも利用するといい。

一方で、外国で学位を取って帰って来ても、相当メジャーな大学(国)でない限り、価値が著しく低い。なるほど、業界人にとっては「これはすごい」という学位であっても、知らない人にとってはゼロに等しい価値しか持たない。

日本で仕事をするなら、日本で一番価値のある学位を取るべきだ。

要するに勉強する場所は国外でもいいが、学位を取得する場所が国外でいいとは限らないので、慎重に検討すること。

2018年10月19日金曜日

応募先を判断する材料

応募するかどうかを迷う大学は、出さない方がいいと思うが、いい大学かどうかを判断する材料は無数にある。

ホームページが充実していても、学生の質が低い大学もあるだろうし、簡素でありながら教員の質が高い場合もある。学生の質も問題だが、教員とりわけ同僚になる先生たちのことも気になる。派閥があったり、特定の大学の出身者で占められている大学は、公正な運営ができていない可能性がある。そうした先生たちのシラバスや研究内容を見ることで、教育環境、研究環境について察することは十分にできる。

学生については、極端によくなったり悪くなったりすることは少ないが、不祥事や事件の報道があったなら注意した方がいい。とはいえ、一部のおかしな学生が大学全体の名誉に泥を塗っていることが大半だと思うのだが、そうした評判は覿面に受験動向、とりわけ保護者の意見に影響を与えるので、甘く見てはいけない。

最初に書いた通り出すか出すまいか迷うくらいならやめた方がいいし、出した後で調べるということでもいいが、できれば出す前に下調べをした方が時間のロス(書類作成など)が少ない。

2018年10月16日火曜日

教員を目指す年齢

普通の専門職であれば、それを志望した年齢が若い方がより経験や知識を増やすことができるのでそれに越したことはないが、大学教員の場合、若気の至りで選んだ進路を成就できる可能性は低い。なので、ぎりぎりまで退路を断たずに二十台後半までは逃げ道を残しておく方がいい。

すると、修士課程が終わってそれなりに良い成績を得られ、かつ将来を嘱望されていることを知る24歳以降ということになるが、ここでいう「将来を嘱望」は、何らかの補助金、助成金、研究費を受けられるということである。

そうでない人は、かなり望み薄なので、今からわざわざ発奮して研究者になるよりは、別の道を選んだ方がいい。

いっぽうで、社会人経験を積んだのちに、問題意識をより明確に持つことができるようになった人はその限りではない。三十代から研鑽を積んで大学教員になる人もある。いずれにしても、二十代後半は、人間の成長過程においても重要な時期だし、研究者にとってもそれは当てはまっている。そのころにいけるという見通しを得た人は、その道を驀進するべきだ。迷いがあるなら、潔く退却するか、別の道を探すべきだ。あきらめることは何も悪いことではないのだから。

2018年10月13日土曜日

面接慣れ

何度も面接に呼ばれているのに、なかなか常勤職が決まらない人は、書類の上では素晴らしいのに実際に面と向かってみるとマイナスな面がある可能性がある。むろん、人柄や容姿を変えることはできないが、もし模擬授業の授業の上手下手がネックとなっているのであれば、向上させることはできるかもしれない。

かつての大学のように教員が漫然としゃべっている授業というのはほとんどの大学で歓迎されない。さまざまな言葉が取りざたされては消えて行ったが、結局は学生に対するアピールの強い授業、かつ学生の参加を促す授業が求められている。また、専門性の高い話をかいつまんで、分かりやすく、また噛み砕いて説明するにはどうしたらいいかを常に考えておくといい。難しいことを難しく話す人は研究者としてはよくても、大学教育には向かない。

自身のジャンルにそれがそぐうかどうかは難しい問題だと思うが、一考に値するだろう。一番まずいのは面接慣れして、「落ちる面接パターン」を繰り返しているうちに機会を損失することである。時間もまた失っていくのだ。

2018年10月12日金曜日

年齢

年齢は大きな壁だが、公募先によって若すぎる、年寄りすぎるの基準は違う。ただし、普通なら教授くらいの年齢のひとが非常勤をずっとしていたとして、この人を取ることは難しい。既存スタッフとのバランスがとれないからだ。すでに常勤職を持っていてよその大学で教授の人は問題ない。教授だった人が異動して准教授になっているレアなケースもたまにあるが、それは新旧大学間の格の違いによるもの。ただし、めったにあることではないので、別に何らかの理由があったと考えた方がいい。

不幸な人びと

もうどれくらいやっているのかわからないくらい非常勤講師をしていて、年齢も行き過ぎている人が、業界の話を訳知り顔でしているのに出くわすことがあるかもしれない(男が多い)。どれだけそうしたゴシップを知っていようと、仕事がないのではお話にならない。こういう人は、多分ずっと常勤にはなれない。一緒に仕事をしたいと思える魅力がないからだ。

強い意志の力

いくつもの公募に出し続けていて、年度が後半に入り、面接にも呼ばれずにいると心配でならなくなる。もしかすると、自分は一生非常勤をしながら暮らしていくしかないのではないか、仕事は見つからないのではないか、という不安だ。その不安を払しょくすることはできない。ただし、常勤を得てしまったあとでは、かつての日々を懐かしく思い返すことがあるのも事実だ。あんなにも贅沢に、自由に、研究し、勉強し、本を読むことができたなんて、とささやかな羨望を覚える。無論、苦しかったのは事実で、精神的経済的な安定は今の方が大きいとしても、やはり自分を救うのは自分が蓄積したものだと思う。だから、不安を払しょくできなくても、それに負けずに勉強を続ける強い意志の力がほしい。それがあってさえ、ダメな場合もあるが、それがなくては、絶対にダメなのだから。

2018年10月9日火曜日

自問自答

永く公募に応募していると感覚がマヒしてくるが、公募のために研究しているのではなく、研究を続けるために公募に応募して、それに必要な条件や待遇、環境を得るのだ。だから、公募のためになにかをするのではなく、研究をした方がいい。公募に有利、ということはほとんど度外視していい。せめて努力するべきなのは、人格の陶冶くらいのもので、院生生活が長いと社会の一般常識から外れているかもしれない、と自問自答するといい。

2018年10月8日月曜日

初心

大学のポストを求めるようになった初心はなんだろうか、と振り返ってみるのは有益だ。大学院に進むより前に、これが面白い、これはいける、と思った瞬間があったはずでそれぞれの研究領域に足を踏み入れたはずだ。無論、なし崩し的にその道に進む人もあるが、例外と言える少数派だろう。とすれば、なにか、アマチュア的な執念が根本にはかならずあるはず。

仕事を得る上では無論そうしたことは重要視されないけれど、場合によっては「なぜこのご研究をされているのですか」と面接官に聞かれる場合があるかもしれない。そして、それは往々にしてあるのだ。

初心は忘れてはいけないのである。止めたくなる時にあなたを引き留めたものは何か、それを言語化してほしい。

2018年10月5日金曜日

面接における質問の意図

面接における質問の意図は最終的には分からないし、仮に仕事が決まったところで後から尋ねることも恐らくない。

内容について意味がある場合と、答える仕方に意味がある場合がある。専門分野についての質問は前者であり、決まった答えのない質問が後者だ。漠然とした言い方になるが、人となりを見るのが面接なのだから。

こう答えておけばよかった、と後から自問したり後悔することもあろうが、それは無駄なことである。

スキルを磨く(しかし、必要程度で)

昨今の大学ではプレゼンテーションソフトを使用した授業や、英語オンリーの授業が求められることも多い。どちらも、教員にとっては負担だし、学生にとって有益であるかどうかは不明なのだが、そういうことを求める人や大学がある。なので、こうした要請にこたえられる、あるいは実践した経験があるということはひとつのアピールとなる。また、大学がMoodleなどの教育支援システムを導入している場合には、そうしたものについて使用した経験があると答える方が印象はいい。しかし、システムに習熟することが目的ではなく、必要に応じて活用すればいいだけのことにすぎない。そのことを誤解してはいけない。

2018年10月4日木曜日

出してはいけない公募

いくつも公募を見ていると、毎年出ている公募というのがある。どうしたわけか適任者が見つからないのだろうけれど、大学業務は人事が流れた後も平常運転なので、現在いるスタッフに無理を強いて回していることになる。そういう大学のガバナンスがいい可能性は低いので、出さない方がいい。

出してはいけない公募は、応募条件にスーパーマンでなければこなせないような内容(担当授業、業務)を書き連ねている大学。国公立、私立ともにこれから大学はどんどんシビアになるし、教育や研究とはかかわりのないところで時間をとられる。とすれば、スタート時点で時間を大幅にとられる職に就けば、将来はどうなるかなお案じられる。そういう、スーパーマンを求める大学には出してはいけない。ヒーローを必要とするのは逆境にある大学だ。

2018年10月1日月曜日

愚直さという資産

大学院生を対象に書く。すでに仕事を得ている人(常勤職)は関係がない。

院生を長くしていると、焦りもあっていろいろな仕事をしてしまうことが多い。それ自体は全然いいことだけれど、肝心の学位を取るのが遅れたとして、それは言い訳にならない。

仮に、たくさんきらびやかな仕事をしている人がいて、博士号を持っていないとする。いっぽうで、博士号は持っているけれど、地味な論文や発表が経歴に並んでいる人がいる。

間違いなく、公募に取られるのは後者だ。

いろいろな仕事をするのが悪いというのではなく、最優先の仕事をできないという、スケジューリングの甘さが難点なのだ。